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化学よもやま話 特別寄稿

躍(をどる) ~素直さと明るさと情熱を~ 第1回

東京大学名誉教授 東京工業大学名誉教授 向山 光昭

“躍(をどる)”
躍動感にあふれるこの言葉を思い浮かべると,心が躍り次の飛躍に向けて気合いが入ります。小生の大好きな言葉です。

幼少期~中学生時代

南アルプスに囲まれた長野県の山間の小さな村。そこで私は昭和2年1月5日,幹夫とあき子の次男として生まれました。祖父の友吉は,若いときからその伊那 谷の村の村長でした。その頃の日本はまだ近代の夜明けで,祖父は村長として村民の日常の細かい問題解決から様々な儀式の執り行いまで一手に引き受けていた ようです。
 父は冶金が専門の技師で,化学冶金,電気化学,電気炉などについて専門書を書いたり,また,科学と経済的価値の関係についてまとめたりする一方,趣味と して東洋の神秘主義を研究していました。彼は1913年に東北帝国大学より博士号を授かり,当時としては大変珍しいことでしたが,ヨーロッパやアメリカな どの先進国に何度も出張しては最新の冶金学を学んで帰りました。1940年代には,半官半民のニッケル製錬所を名古屋近郊の四日市に設立し,多くの学卒の 若い研究者を育てました。しかしこの研究所は半官半民であったため,戦後の新しい国策に合わず間もなく閉鎖せざるを得ませんでした。その後はいくつかの会 社や研究所に関わり活躍しておりました。
兄の広(ひろむ)とは4つ違いですが,彼は東京大学を卒業後,地質学者として九州大学で教鞭を執り,7年前に他界しました。

ご家族。右から二人目が向山光昭先生。(写真は向山光昭先生ご提供)

ご家族。右から二人目が向山光昭先生。(写真は向山光昭先生ご提供)

 このような状況でしたから二人が小さい頃は,いたずら盛りの男の子を抱えて母は毎日大変だったことと思います。東京に引っ越して来たのはいつの頃かハッキリとは覚えていませんが,幼稚園に入園する少し前の頃だったと思います。兄と私はともに小学校から東京・吉祥寺にある,私立の成蹊学園に通いました。そこでは1クラスの生徒の数も少なくいつも先生達の目が隅々まで行き渡っておりました。それぞれのご専門で後世に名を残された有名な先生も沢山おられましたが,当時の生徒達にその有り難さはわかるはずもありませんでした。
 その頃私はいったいどんな生徒だったかと思い出してみますと,自分でいうのは適当ではありませんが,おとなしくて恥ずかしがり屋でした。誰にも信じてもらえないかと思いますが,皆の前で話をしたり,あるいは目立ったことをするのは大の苦手でした。体も小さかったし,自分に自信もなかったし,次男だったことも影響しているかも知れません。そして勉強にもあまり熱心ではありませんでした。実際小学校の同窓会などでは,今でも「あの,“むかいやまくん”が大学教授に?!」と皆驚きます。しかしながら,当時から自分の好きなことにだけは熱中するタイプでしたので,のちのち一つの学問に集中して深く関わる仕事をする下地はあったと思います。

左から,幼稚園生,小学生,中学生の頃。(写真は向山光昭先生ご提供)

左から,幼稚園生,小学生,中学生の頃。(写真は向山光昭先生ご提供)

 中学になると,私はいつの間にか身長も伸び体力もついて,体中に元気が有り余り,どんなスポーツでも得意でしたので,いつの間にかクラスで一番の“腕白”少年になっていました。当時の教室は,背の順で席が決まっていたのですが,その腕白ぶりに,担任の先生が特別に一番前の右側の席を私の指定席と決められました。ある地質の先生は私の授業中の態度から,「向山君,君はエネルギーがこんなに余っているのだから,将来は必ずや偉大な人物になるだろうよ!」と皮肉たっぷりに予言(?)なさったことを憶えています。まだまだ自分の将来像も描けないまま,ただ毎日楽しく青春時代を過ごしていたのです。成蹊の基本方針が「健全なる魂は健全なる肉体に宿る」がモットーだったことは小生にとっては幸運でした。

執筆者紹介

向山 光昭 (Teruaki Mukaiyama)

 1927年長野県伊那市生まれ。1948年東京工業大学卒業,1953年学習院大学理学部化学科講師,1957年同助教授,1958年東京工業大学理学部化学科助教授,1963年同教授,1973年東京大学理学部化学教室教授,1987年退官,1987年東京理科大学理学部応用化学科教授,1992-2002年東京理科大学特任教授,2002-2009年社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室名誉所員兼室長。
 日本化学会賞,恩賜賞,ACS Award for Creative Work in Synthetic Organic Chemistry,フランス国家功労章シュバリエ,文化勲章,文化功労者,藤原賞,全米科学アカデミー会員等,多数受賞。
2004年に喜寿を迎えられたこと,米国国立科学アカデミー外国人会員に選出されたことを記念し,有機合成化学協会「MUKAIYAMA AWARD」が創設される。
 日本化学会会長,有機合成化学協会会長等を歴任。ポーランド科学アカデミー外国人会員,フランス科学アカデミー外国人会員,西ドイツ・ミュンヘン工科大学自然科学名誉教授博士号,アメリカ科学アカデミー会員,日本学士院会員,日本化学会名誉会員,有機合成化学協会名誉会員,東京大学名誉教授,東京工業大学名誉教授,社団法人北里研究所名誉所員等。

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