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化学よもやま話

~身近な元素の話~ 医薬品と元素

 佐藤 健太郎

 「我々の体に含まれる元素を,多い順に挙げよ」と聞かれたら,あなたは即答できるだろうか?原子数からいけば,体内に最も多いのは水素で,以下酸素・炭素・窒素・リン・硫黄の順となる。カルシウムなどのミネラル類,鉄や銅などの微量元素も体内で不可欠な役割を果たしているが,これらは全部合わせても1%程度に過ぎない。生体において,C・H・O・N・S・Pのビッグ6がいかに重要な地位を占めているかがよくわかる。
 我々が服用する医薬品も,多くはこれら6元素から成る。医薬分子が人体のシステムに入り込んで作用を著すものである以上,生体を作る化合物に組成が似ているのは当然ともいえる。だが中には,珍しい元素を含んでいるものも存在する。前回は抗がん剤に見られる元素を紹介したので,今回は金属元素を含んだ各種医薬品をご紹介したい。

第1族元素

 医薬化合物に含まれる元素を調べてみると,ナトリウムやカリウムを含むものは数多く見られる。ただしこれらの多くは,酸性化合物の水溶性を上げるため,塩として製剤化したものだ。たとえば代表的な高脂血症治療薬プラバスタチンは,もともとラクトンの形で天然から得られるが,これを加水分解してナトリウム塩とすることで水溶性を向上させている。

プラバスタチンナトリウム

プラバスタチンナトリウム

 アルカリ金属元素自体が薬理作用を持つケースとしては,リチウムが有名だろう。炭酸リチウムなどの塩は,躁状態と鬱状態を行き来する精神疾患「双極性障害」の治療薬として,臨床の現場で欠かせない役割を担っているのだ。
 この作用が見つかったのは,全くの偶然によるものであった。1940年代の末ごろ,オーストラリアの医師ジョン・ケイドは,尿酸の代謝異常でこの病気が起きるのではと考え,実験動物に尿酸を投与することとした。尿酸は水への溶解度が低いため,これをリチウム塩として投与してみたところ,劇的な治療効果が確認された。しかしよく調べてみると,この実験で効果を著していたのは尿酸ではなく,可溶化剤として加えたリチウムイオンの方だったのだ。やがてリチウムの作用は人間でも確認され,精神医療に大きな貢献をすることとなった。
  リチウムはその作用の発見以来,長きにわたって世界で広く用いられているが,その作用のメカニズムはいまだ完全に解明されていない。体内時計に作用する,神経細胞間の刺激伝達に影響するなどいくつかの説があるが,恐らくはいくつもの効果の複合によるものなのであろう。こうした医薬は,現代のシステマティックな創薬技法からは,最も生まれにくいものかもしれない。

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第2族元素

 第2族元素のうち最も軽いベリリウムは,天然の存在量が少ない上に毒性を持つため,医薬品としての用途はない。しかし,周期表でその下にあるマグネシウムは,ベリリウムとは対照的に人体に対する害が低い。このため,酸化マグネシウムなどの形で胃酸の中和剤として胃薬に配合される他,安全性の高い下剤としても用いられる。その他,マグネシウム不足は糖尿病やうつのリスクを上昇させるとの報告もある。あまり意識されないが,人体にとって重要な元素なのだ。

  カルシウムは骨の成分として重要である他,細胞間シグナル伝達にも欠かせない役割を持つ。その不足は人体に重大な悪影響を及ぼすため,これを補給するための製剤が数多く販売されている。その他,水溶性を上げるためにカルシウム塩として製剤されている医薬も多く,たとえば史上最大の売上を誇った医薬・リピトール®(高脂血症治療薬)は,アトルバスタチンのカルシウム塩だ。 

アトルバスタチンカルシウム

アトルバスタチンカルシウム

  原子番号38のストロンチウムは,カルシウムに化学的性質がよく似ている。このため,核実験や原発事故などで放射性ストロンチウム同位体が放出されると,骨に蓄積されて体内に居座り,長く健康を蝕む。
 しかし,この厄介な性質を逆用した医薬もある。ストロンチウム89は半減期50.5日でベータ線を放出する放射性同位体だが,これを投与することで骨に転移したがんの激しい痛みを抑えることができるのだ。がんを引き起こす危険な放射性同位体が,一方でがんの疼痛を和らげる作用を持つというのは,一見すれば不思議ではある。人体と放射線,人体と医薬の,一筋縄で行かない複雑な関係の一例だ。 
  周期表でストロンチウムの下に位置するバリウムは,胃腸のレントゲン写真撮影の際に用いる造影剤としておなじみだ。あの味,飲んだ後の始末の悪さなどからバリウムが苦手という人は多いが,それでも用いられるのはそれなりの理由がある。
  造影剤として用いられるのは硫酸バリウムで,水に難溶であるために胃腸から吸収されず,毒性を持たない。また,バリウムは原子番号56と大きな元素であるためにX線を効率よく散乱し,このためバリウムを飲んだ後の胃腸はレントゲン写真で白く見える。コスト的にも安いから,今後もバリウムは変わらず使い続けられることだろう。ただし,近年では飲む量を減らす工夫がされているし,味なども改善されているから,健康診断につきものの苦痛はだいぶ軽減されつつある。

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遷移金属元素

 冒頭で述べたように,人間の体の根幹を成すのはC・H・O・N・S・Pの6元素だが,やはりそれだけでは全ての生命機能を実現することはできず,様々な金属元素の力が必要になる。このため,人間が生命を保つために必要な元素のリストには,クロム・マンガン・コバルト・ニッケル・銅・モリブデンなど,ちょっと意外なものまでが名を連ねている。
 ただし遷移金属元素には,摂り過ぎると毒性を著すものが多い。このため,医薬にこれらの元素が用いられるケースは多くはない。たとえば水銀の化合物は,かつては消毒薬などとして広く使用されたが,近年では毒性への懸念からほとんど使用されなくなっている。
 「毒をもって毒を制す」という言葉があるが,重金属の毒を別の重金属で防ぐ医薬が存在する。体内に無機銅が蓄積してしまうウィルソン病の治療薬として,酢酸亜鉛が用いられるのがその例だ。これは,消化管からの銅の吸収を妨げるものと見られている。

  また亜鉛は,胃薬にも用いられる。ポラプレジンクという亜鉛錯体は,胃粘膜の損傷部に働きかけて,これを修復する働きがある。その他,酸化亜鉛をベースとした亜鉛華軟膏は,古くから皮膚疾患に用いられ,安全性も高い。亜鉛は,遷移金属の中では最も医薬に縁の深い部類の元素といえそうだ。

ポラプレジンク

ポラプレジンク

  金属錯体が医薬として用いられている例としては,金チオリンゴ酸ナトリウムや,オーラノフィンといった,金の錯体のケースが挙げられる。オーラノフィンはチオ糖とホスフィンが金に直接結合しており,医薬というよりは何かの触媒ではないかと思うような構造だ。これは,投与すると関節内の滑液に蓄積し,コラーゲンの分解を抑えたり,炎症物質に結合してこれを不活性化したりといった作用で,リウマチの症状悪化を食い止めると考えられている。

金チオリンゴ酸ナトリウム

金チオリンゴ酸ナトリウム

オーラノフィン

オーラノフィン

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 また最近,高リン血症患者に対する医薬として,炭酸ランタンが承認された。腎不全などの患者では,血液中のリン酸イオンの除去がうまく行かず,血中濃度が上昇してしまう。このリン酸イオンは血中のカルシウムと結合し,筋肉の収縮力低下,臓器や血管壁の石灰化など,危険な症状を引き起こす。しかし多くの食品にはリン酸が含まれているから,これを除く方法が必要になる。
 食事後に炭酸ランタンを飲むと,ランタンイオンがリン酸イオンと強く結合し,上記の症状を抑えてくれる。今まで腎臓病患者は,リン酸分の少ない味気ない食事を強いられていたが,一般にあまりなじみのないランタンという元素は,彼らの救いの神となってくれそうだ。
 最近の注目株を挙げるなら,バナジウムだろうか。鉄鋼などの添加剤として用いられるが,生産量が少なく,レアメタルの一つに指定されている金属だ。ホヤやキノコの一部には選択的にバナジウムを取り込むものがおり,何らかの生理作用を受け持っていると見られているが,人体には縁の薄い元素と思われてきた。
 このバナジウムが,実は糖尿病に有効なのではないかというデータが出てきている。硫酸バナジル(VOSO4)を糖尿病患者に一日150 mg投与すると,血糖値が低下することが報告されたのだ。単純な金属塩が,51アミノ酸から成るインスリンと同じような働きをするというのだから面白い。錯体にするなどして吸収性を高め,毒性を抑えられれば,糖尿病治療薬として実用化することもあり得る。インスリンはペプチドであるため注射による投与しかできないから,もし経口投与可能な血糖低下剤ができれば大きな価値がある。
 このような次第で,金属化合物にも医薬品として用いられているものは案外たくさんある。こうした化合物は毒性が強そうに思えるせいか,創薬研究者にはあまり注目されない。しかし,やりようによって医薬になりうるようなものは,まだまだ眠っていそうに思える。先入観に囚われず研究してみれば,案外この領域は宝の山なのかもしれない。

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執筆者紹介

佐藤 健太郎 (Kentaro Sato)

[ご経歴] 1970年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら,ホームページ「有機化学美術館」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html,ブログ版はhttp://blog.livedoor.jp/route408/)を開設,化学に関する情報を発信してきた。東京大学大学院理学系研究科特任助教(広報担当)を経て,現在はサイエンスライターとして活動中。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社),「医薬品クライシス」(新潮社) ,「『ゼロリスク社会』の罠」(光文社)など。
[ご専門] 有機化学