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化学よもやま話

~身近な元素の話~ 天然有機フッ素化合物

 佐藤 健太郎


有用なフッ素化合物

 近年の有機合成反応開発における大きな潮流のひとつに,フッ素の導入反応がある。フッ素は,電気陰性度が全元素中最大であるため,導入することで分子全体の性質を大きく変えることができる。それでいて原子半径が水素とあまり変わらないほど小さいため,分子のサイズを大きく変化させることがない。このため,医薬品や有機電子材料などにフッ素を含む化合物の報告が増えており,フッ素導入反応のニーズも高まっているのだ。

フッ素を含む医薬の例,糖尿病治療薬シタグリプチン

フッ素を含む医薬の例,糖尿病治療薬シタグリプチン

 もちろん化学研究以外でも,フッ素を含む化合物は身近で用いられている。テフロン®はフライパンなどの日用品はもちろん,化学者にとっては実験器具の材料として欠かせない存在だ。またフロン類(クロロフルオロカーボン)は,冷蔵庫の冷媒などに広く用いられたが,オゾン層を破壊する効果があることが判明し,現在では生産が禁止されている。代わって現在では,オゾン層への影響が小さい代替フロン類(ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)など)が用いられている。
 このようにフッ素を含んだ化合物には有用なものが多いが,天然にはフッ素は蛍石(CaF2)や氷晶石(Na3AlF6)などの鉱物として産するのみであり,有機フッ素化合物はごくまれだ。C-F結合は丈夫で特異な性質を示すが,自然はあまりこれを活用してこなかったようだ。だがそれでも,これまでC-F結合を含む天然物が30種ほど見つかっている。今回は,これら天然有機フッ素化合物の横顔をご紹介したい。

猛毒・モノフルオロ酢酸

 天然由来の有機フッ素化合物として最も有名なのは,モノフルオロ酢酸(FCH2CO2H)であろう。南アフリカなどに産する「ジフブラール」という植物が作る化合物で,葉っぱ一枚の半分程度を食べただけで,牛が中毒死するほどの強力な毒性を持つ。日本では特定毒物に指定されており,許可なく所持・譲渡することが禁じられているので,うっかり合成してしまうことのないよう気をつけたい。
 酢酸は重要な生体物質だが,これによく似たモノフルオロ酢酸がかくも強力な毒性を持つのは,一見不思議なことにも見える。実は,酢酸によく似ているからこそ,モノフルオロ酢酸は毒となる。前述のように,フッ素は水素とサイズなどがよく似ているため,酢酸と間違えてクエン酸回路に取り込まれ,この経路を阻害してしまう。これが毒性の原因だ。
 ジフブラールの属するカイナンボク科の植物には,末端にフッ素がひとつついた脂肪酸を作るものもあり,ω-フルオロステアリン酸,ω-フルオロオレイン酸などが知られている。これらは,通常の脂肪酸生合成の経路に,モノフルオロ酢酸が取り込まれて生成するものと見られる。これらω-フルオロ脂肪酸も,体内で代謝されるとモノフルオロ酢酸を生じるために強い毒性を示し,動物などの食中毒例が知られている。

ω-フルオロオレイン酸

ω-フルオロオレイン酸

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含フッ素化合物の生合成

では,モノフルオロ酢酸はどのように生合成されているのだろうか。ある種の放線菌にもモノフルオロ酢酸を作るものがおり,こちらでは経路が解明されている。S-アデノシルメチオニン(SAM)は,フッ化物イオンとフルオリナーゼ酵素の作用で,5 ʹ -フルオロ-5 ʹ -デオキシアデノシン(5ʹ-FDA)を生成するのだ。これが分解を受けてモノフルオロアセトアルデヒドになり,さらに酸化を受けてモノフルオロ酢酸が生成すると考えられている。

モノフルオロ酢酸の生合成

モノフルオロ酢酸の生合成

 SAMは生体内において主要なメチル基の供与体として働く化合物であり,このような使われ方は極めて珍しい。また,フルオリナーゼは,C-F結合を生成する機能を持った極めてユニークな酵素だ。このため,含フッ素化合物の合成などに応用が期待されている。
 またフルオロトレオニンという化合物も知られており,これもモノフルオロアセトアルデヒドから生成すると考えられている。今後,モノフルオロ酢酸やモノフルオロアセトアルデヒドから生合成される化合物が,さらに見つかってくる可能性も十分ありそうだ。

フルオロトレオニン

フルオロトレオニン

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含フッ素天然物さまざま

 海洋天然物で塩素や臭素を含むものはいくつも見つかっているが,C-F結合を持つものは珍しい。これは,フッ素の海水中濃度が低い上,臭素などと異なりフッ素陽イオンとして生合成経路に取り込まれることがないためと見られる。しかし2003年に中国のグループが,フッ素を含む化合物を海綿から発見した。しかもこの化合物は,合成抗癌剤として著名な5-フルオロウラシル(5-FU)の骨格を持つものであったため,話題を集めることとなった。これも,モノフルオロアセトアルデヒドから生合成されていると見られている。

海綿から発見された5-FU誘導体

海綿から発見された5-FU誘導体

 もうひとつ,天然有機フッ素化合物として,ヌクレオシジンという化合物が知られている。これはタンパク質合成阻害により,抗菌作用を示す。リボースの4位にフッ素が結合した独特の構造を持っており,これも生合成経路に興味がもたれる。

ヌクレオシジン

ヌクレオシジン

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天然?人工?

 その他,自然界からは意外な化合物も見つかっている。四フッ化炭素,テフロン®の原料であるテトラフルオロエチレン,トリクロロトリフルオロエタン(F2ClC-CFCl2,フレオン113)といった,人工化合物としか思えない物質群だ。化学合成されたものが環境に漏れ出したものかと思いきや,天然に存在していたものらしい。といっても生物がこれらを作ったわけではなく,フッ素を含む火山ガスが,高熱で有機物と反応してできたものと見られている。人工の化合物と思われていたものが,実は天然にも存在していたというケースは少なくないが,これらもその例に当たるだろう。
 また,雨水から一定の濃度で,トリフルオロ酢酸が検出されることがある。この濃度は,人工合成されたものが検出されたというのでは説明がつかない数値ということだ。どこから来たものなのか,今のところ正体は不明のようだ。

天然の単体フッ素

 フッ素化合物ではなく,単体のフッ素ガス(F2)そのものが,天然から発見されたという驚くべき報告が,2012年になされた。単体フッ素は極めて反応性が高く,白金などの貴金属や,希ガスであるキセノンなどとさえ反応する。そのフッ素ガスが,天然に存在できるとは予想外のことであった。
 フッ素が発見されたのは,アントゾナイトという名前の鉱物からだった。この鉱物は蛍石(CaF2)の一種だが,ウランを含んでいる。このアントゾナイトを割ると,鼻を突く臭気が感じられることは,古くから知られていた。酸素の陽イオン「アントゾン」(anti-ozoneに由来)という仮説上の化学種が含まれているからではないかとされ,鉱物名もここからつけられた。
しかしミュンヘン工科大学のグループは,アントゾナイトを19F-NMRで解析し,分子状フッ素が鉱物内部に含まれていることを実証した。前述のように,アントゾナイトの主成分はフッ化カルシウムだから,フッ素ガスとも反応せず,安定に内部に閉じ込めておくことができる。
それにしても,なぜフッ素ガスが生成したのだろうか?鍵は,アントゾナイトに含まれるウランのようだ。ウランの崩壊で生じる娘核種には,ベータ線やガンマ線を発するものがあり,フッ化カルシウムがこの放射線を受けてフッ素が生成しているのではないかと考えられている。
フッ素が天然に存在するなど奇想天外と思えるが,言われてみれば納得の行く話だ。毎度のことながら,自然界の奥の深さには舌を巻かざるを得ない。こんなものが存在するはずがないといった先入観に囚われず,虚心に研究に取り組むことの重要さを教えてくれるかのような話ではないだろうか。

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執筆者紹介

佐藤 健太郎 (Kentaro Sato)

[ご経歴] 1970年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら,ホームページ「有機化学美術館」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html,ブログ版はhttp://blog.livedoor.jp/route408/)を開設,化学に関する情報を発信してきた。東京大学大学院理学系研究科特任助教(広報担当)を経て,現在はサイエンスライターとして活動中。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社),「医薬品クライシス」(新潮社) ,「『ゼロリスク社会』の罠」(光文社),「炭素文明論」(新潮社)など。
[ご専門] 有機化学