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化学よもやま話
分子の世界のギネスブック(3)
佐藤 健太郎
さて前回,前々回に引き続き,化学の世界のレコードホルダーたちをお目にかけよう。今回は史上最強の酸・塩基を取り上げたい。
有機化学者にとって,酸と塩基は最もなじみ深く,重要な存在だろう。目的と状況に合わせ,我々は何十種もの酸・塩基を使い分ける。LDA・PPTS・各種ルイス酸など,新しい酸・塩基試薬が登場するたびに有機化学は進歩してきたともいえる。
では史上最強の酸(ブレンステッド酸)とはどんなものだろうか?一般にもなじみ深い強酸としては,硫酸H2SO4(pKa=-11)がある。ここに電子求引基を結合させれば,さらに酸性が強まることになる。実際,フルオロスルホン酸FSO3Hと,トリフルオロメタンスルホン酸CF3SO3Hは硫酸を上回る強酸であり,この2つが最強酸の座を長らく保ってきた。
左から硫酸,フルオロスルホン酸,トリフルオロメタンスルホン酸
これを打ち破ったのが,カチオン化学の巨匠G. Olahだ。彼は五フッ化アンチモン SbF5が,プロトン酸の酸性度を大幅に高めることを発見した。特に五フッ化アンチモンとフルオロスルホン酸の1:1混合物は「マジック酸(magic acid)」と命名されており,炭化水素さえプロトン化して溶かしてしまう超強力な酸だ。Olahはこの試薬を駆使して独創的な研究を展開し,1995年のノーベル化学賞を単独受賞している。
現在最強の酸と目されているのは,五フッ化アンチモン-フッ化水素の1:1混合物であるようだ。この混酸は単純な組成ではなく,非常に複雑な平衡状態にあると考えられている。酸性度も正確に測定することは難しいが,少なくとも硫酸の1011倍は強力であると見られている。
また,近年C. Reedらによって,カルボラン酸と呼ばれる一群の化合物が合成された。この化合物は炭素1個とホウ素11個から成る正二十面体構造をとっており,このクラスターが陰イオンとしてプロトンと対を成している。これも正確な酸性度の測定は難しいが,少なくともフルオロスルホン酸を上回る強酸であると考えられている。単独分子で,単離可能な酸としてはこれが現在最強の酸ということになる。また,マジック酸はフッ化物イオンを発生するため腐食性が強いが,このカルボラン酸はそうした問題がなく扱いやすいという特徴がある。
カルボラン酸。紫はホウ素,灰色は炭素,白は水素,黄緑は塩素。
では最強の塩基の方はどうだろうか?有機合成でよく用いられる強塩基としては,n-ブチルリチウムやtert-ブチルリチウムといった有機金属系の試薬がなじみ深い。これらを上回る強塩基としては,Schlosserによって開発された塩基がある。これはアルキルリチウムとカリウムtert-ブトキシドを1:1で混合したもので,系中で発生するアルキルカリウムが活性種と考えられる。Schlosser塩基はベンゼンの水素さえ引き抜いてアニオンにすることができ,実験室レベルで使える塩基としては最強クラスだ。
金属を含まない有機化合物では,どの程度強い塩基が可能だろうか?以前は1,8-ジアザビシクロ[5.4.0]ウンデカ-7-エン(DBU)など,アミジンやグアニジン骨格を持った塩基がこの分野の王座にあり,pKb(共役酸のpKa)は25前後が限界であった。
DBU
しかし近年,ドイツのR. Schwesingerらが「ホスファゼン塩基」の研究を進め,この記録は一挙に打ち破られることとなった。これはリン原子に窒素が4つ(一つは二重結合,三つは単結合)結びついた構造を持ち,よく用いられるBEMPではpKbが 27.6となる。さらにこのホスファゼン単位を長くつなげていくと,塩基性は上昇していく。ホスファゼン単位が2つつながったP2塩基ではpKbが33前後,5つつながったP5塩基では,pKbが45にも達し,ブチルリチウムなどにも匹敵する強塩基となる。ただしさらに多くのユニットをつないでも塩基性はこれ以上向上しない。また,ホスファゼン中心にグアニジンユニットを連結させたものもほぼ同程度の塩基性を示すとされており,今のところP5塩基とグアニジノホスファゼンが有機塩基のチャンピオンということになりそうだ。
左上からBEMP,P2塩基,P5塩基,グアニジノホスファゼン
では無機塩基まで含めるとどうなのだろうか?実は最近,史上最強の塩基が合成・確認された。凝りに凝ったP5塩基に比べてこちらは拍子抜けするほどシンプルで,リチウムオキシドアニオン(LiO-)というのがその正体だ。電気的に陽性な元素(リチウム)と結合したアニオンは塩基性が高くなるだろう,という考え方だ。
しかしこの化学種の発生・測定は難航した。理屈の上では水酸化リチウムからプロトンを引き抜けば合成できることになるが,当然のことながら「最強の塩基」の共役酸からプロトンを引き抜ける塩基など存在しない。結局気体分子の衝突による方法で,気相でリチウムオキシドアニオンを発生させることに成功している。反応性・塩基性についても通常の方法では調べられず,間接的な方法で推定することしかできない。
このような次第であるので,リチウムオキシドアニオンは直接合成反応などに使える性質のものではなく,東京化成から試薬としてビン詰めで売り出されるようなことも残念ながらなさそうだ。しかし物質の極限に挑む基礎研究として,重要な意味を持つ仕事であるのはいうまでもない。
最後に,前々回取り上げた「合成された史上最大の分子」の記録が破られたようなので紹介しておこう。フランスのD. Astrucらのグループは,第7世代までの分枝を持つデンドリマーの合成に成功した(J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 590)。末端には19,683個のフェロセンがぶら下がっており,分子式はC934893H1495830O49203Si49203Fe19683,分子量は1,600万を突破する怪物分子である。並みのタンパク質が分子量数万程度であることを思えば,いかにこれが巨大な分子であるかおわかりいただけるだろう。デンドリマーは少ないステップ数でサイズを大きくでき,分子量のわりにコンパクトで溶解性が低下しないため,巨大分子合成に有利であるようだ。それにしても想像を絶する大きさであるが,さてこの分野の記録はどこまで伸びていくのだろうか。
執筆者紹介
佐藤 健太郎 (Kentaro Sato)
[ご経歴] 1970年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら,ホームページ「有機化学美術館」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html)を開設,化学に関する情報を発信してきた。2008年退職し,フリーのサイエンスライターとして活動中。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社)「化学物質はなぜ嫌われるのか」(技術評論社)など。
[ご専門] 有機化学
[ご専門] 有機化学